心を動かすワインを造りたい モダンバローロの父
ロッケ ディ マンゾーニ、その農園
ロッケ ディ マンゾーニ、その農園

1974年ランゲの中心部モンフォルテ・ダルバ村のにあるマンゾーニ・ソプラーニにある、1700年代の古い農家とその周辺に広がる素晴らしい畑を買っうことに決めたのです。

彼らはミシュランの星付きのレストランを経営しており、もともとは自分のレストランで供するためにワインをつくりはじめましたが、やがて二人はワイン造りに夢中になり、レストランをクローズしてワインに専念するようになりました。

こうして、彼らの冒険が始まりました。
その後も、ブラン・ド・ブランである「ブリュット・ゼロ」、限りなくソーテルヌに近いワインを造ろうして生まれた貴腐ワイン「リメンバー」など、革新的なワインを次々と生み出す一方で、最高の条件の畑を買いそろえて整備し、次々と生み出すクリュのバローロもいまや国内外で高い評価を得ています。

ヴァレンティーノ氏は2006年末、病により惜しまれながら他界したが、彼の精神 ワイン造りに対する細やかなこだわりと常により良いものを造ろうという情熱、なにより畑とブドウに対する惜しみない愛情は、息子のロドルフォ氏に確実に受け継がれています。
ヴァレンティーノ氏は、いわゆる「バローロ・ボーイズ」の先駆けの一人として、次々と革新的なワイン造りを行いました。

偉大な革新者として、テロワールの可能性を深く信じ、新しいブドウ品種や醸造技術の導入を試み、そして伝統的なワインに加えて新しいワインを造り出したのです。

まず、単一品種銘柄が基本のランゲで、ブレンドでワインを造り出すことに始めて試みました。
1976年がファーストヴィンテージとなる「ブリッコ・マンゾーニ(マンゾーニの丘のてっぺんの畑、の意)」が2年間の熟成を経てリリース。(80%ネッビオーロ、20%バルベーラ)

当時、周囲の人々は彼を変人扱いしましたが、高い品質が市場で認められ、彼への評価が「変人」から「すごい造り手」に変わるのに時間はかかりませんでした。
また、1978年には、シャルドネとピノ・ネーロでシャンパン方式によって造られたスプマンテ「ヴァレンティーノ・ブリュット“リゼルヴァ・エレーナ”」をリリースすることになりました。

同じ年に300個のフレンチオークのバリック(小樽)がワイナリーに導入され、実験的にバリックでの樽熟成が始められたのです。これによってワイナリーの個性をよりくっきりとワインに表現できるようになりました。その後、1982年からは、全てバリックでの熟成に切り替えられ、バローロ初のバリック導入に成功しました。
 
2007年10月号のワインアドヴォケートでは、テイスティングされた9種類のワインが全てパーカーポイント90点以上、またガンベロ・ロッソではルチアーノ・サンドローネ、カステッロ・ディ・ランポラ、ファレスコ等と並ぶ一つ星のワイナリーとしてグレーディングされました。

2005年にミラノで行われたバローロ2001ヴィンテージのブラインドテイスティグコンペでは、堂々の第一位にランキングされるという、高い評価を得ています。